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東野圭吾「加賀恭一郎シリーズ」②~『どちらかが彼女を殺した』『私が彼を殺した』『嘘をもうひとつだけ』

東野圭吾「加賀恭一郎シリーズ」①~『卒業』『眠りの森』『悪意』 - 知ってることだけ話しますよ

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加賀恭一郎シリーズの第1作『卒業』の単行本は1986年に刊行され、第10作『祈りの幕が下りる時』の刊行は2013年である。

放課後 (講談社文庫)

放課後 (講談社文庫)

  • 作者:東野 圭吾
  • 出版社:講談社
  • 発売日: 1988-07-07

 

東野圭吾が『放課後』で作家デビューしたは1985年。デビュー翌年からシリーズが開始されたわけだ(当初は同一主人公のシリーズものにする意図は無かったらしいが)

 

すなわち、加賀恭一郎シリーズの歩みは、そのまま作家・東野圭吾が辿った軌跡であると言っても過言ではない。

前回のエントリで採り上げた『眠りの森』で叙述トリックが用いられていることから分かるように、東野圭吾は90年代に入ると、己の限界に挑むかのごとく、作品ごとに意欲的な「仕掛け」を施すようになった。

 

今回レビューするうちの2作品も、そういった時期に発表されたものである。通常のミステリー小説とは趣きがちがう、スパイスの利いた仕上がりになっているのが特徴だ。

 

第4の事件『どちらかが彼女を殺した』(☆☆★)

どちらかが彼女を殺した (講談社文庫)

<概要>

殺したのは男か女か
究極の「推理」小説自殺の偽装を施され、妹は殺された。
警察官である兄が割り出した容疑者は二人。
犯人は妹の親友か、かつての恋人か。
純粋推理の頂点を究めた話題沸騰のミステリ!
加賀恭一郎シリーズ

ミステリー小説には、作者VS読者の知恵比べゲームの形式をとった作品が存在する。本作もその一例で、なんと犯人が最後まで明されずに終わる。作中で語られた事実を手がかりに、読者ががんばって推理すれば分かる仕様なのだ(※)

 また、本作は<妹の復讐を企てる刑事・和泉VS復讐を阻止しようとする加賀>の図式で繰り広げられる推理の攻防を軸に据えてあるため、「加賀は復讐を阻止できるか」というサスペンス要素もあり、全体的に気が抜けないスリリングな作りになっている。

 

 (※)文庫版には分からなかった人向けに、袋綴じの解説で、推理のヒントが書いてあります。

 

 

第5の事件『私が彼を殺した』(☆★★)

私が彼を殺した (講談社文庫)

<概要>

 全編、読者への挑戦状。
この謎を解けるか?
流行作家・穂高誠が、新進の女流詩人・神林美和子との結婚式当日に毒殺された。
容疑者は3人。
しかし3人が皆「私が彼を殺した」とつぶやく。
はたして真相は…
加賀恭一郎シリーズ

『どちらかが~』と同じく、最後まで犯人が明かされない。前作と異なるのは、容疑者が3人に増え、小説自体その容疑者3人の視点(一人称)が入れ替わりながら進むこと。がんばって読みましょう。なぁに、分からなくても解説でヒントがあるから大丈夫です、がんばりましょう。

え、どうしていきなり投げやりになってるのかって? だって、ガイシャの穂高殺されて当然な人間のクズだし、容疑者3人も穂高とドッコイドッコイな奴らなので、読み味があまりよろしくないんですもの(端的に言って不快)。

謎解きも前作のようなパズル的おもしろさは薄く、同じトリックで『名探偵コナン』の脚本を書いたら、前後編に分かれることなく30分で収まってしまうだろう。

イデアは面白かったが、技巧でいっぱいいっぱいになってしまった印象がある。

 

 

第6の事件『嘘をもうひとつだけ』(☆☆★)

嘘をもうひとつだけ (講談社文庫)

<概要>

誰もが平気で嘘をつくわけではない。 正直に生きていきたいと望んでいたのに、落とし穴にはまりこみ思わぬ過ちを犯してしまった人間たち。そしてそれを隠すため、さらに秘密を抱え込む……。 バレエ団の事務員が自宅マンションのバルコニーから転落、死亡した。事件は自殺で処理の方向に向かっている。だが、同じマンションに住む元プリマ・バレリーナのもとに1人の刑事がやってきた。彼女に殺人動機はなく、疑わしい点はなにもないはずだ。ところが……。嘘にしばられ嘘にからめとられていく人間の悲哀を描く、新しい形のミステリー!

シリーズでは唯一の短編集。「嘘」をキーワードにした物語が5本収録されている。

90年代に冒険的な作品を数多く発表し、その冒険を終えた東野圭吾は、2000年代からは再び人間ドラマの深化へと取り掛かった。加賀恭一郎シリーズも、ここからは初期2作のような<謎解き+味わい深い人間ドラマ>形式に戻っていく。

本書に収められた各エピソードは、短いながらどれもこれも胸を抉られるような悲しみに満ちている。そしてそれは、

「自分も機会があったら、殺人者になってしまうかもしれない」

という恐怖をも伴っている。なぜかって、嘘をつかない人はいないし、悪意や憎悪を抱かない人もいないわけで。

殺人者とそうでない者との境目は、同じ人間である以上、極めて希薄なものなのかもしれない。

 

 

次回は『赤い指』『新参者』を取り上げる予定。